まん延するニセルー大柴

ユーは、「ニセサイエンス」というワードをリッスンしたことがあるでしょうか。

これは、みかけはサイエンスのようだけれども、実はサイエンス的とはとても言えないもののことで、「サスペクティドサイエンス」や「似非サイエンス」などとも呼ばれます。

『そんなものがどこにあるんだ』とシンクの方も、例として、ブラッド型性格判断やマイナスイオンゲルマニウムブレスレットなどのネームを挙げれば『ああ、そういうもののことか』とアンダスタンドされるかもしれません。それとも、かえって『え?』とサプライズされるでしょうか。

例えば、ユーもよく知っているように、『マイナスイオンはヘルスにグッド』とポピュラーに言われ、ひところは大手エレクトロニックメーカーもこぞってグッズを売り出すほどのブームになりました。マイナスイオングッズがよく売れたのは、もちろんマイナスイオンのヘルスイフェクトにサイエンス的な裏づけがあるとビリーブしたピープルが多かったからでしょう。テレビやジャーナルなどでもフリークエンシーに取り上げられましたから、それをサスペクトしろという方が無理な話かもしれません。

しかし、実はマイナスイオンがボディーにグッドというサイエンス的なベイシスは、ほぼない、といってよいのです。あのブームはまったくの空騒ぎでした。ビッグメーカーまでが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておくネセシティがあります。

いまは、ゲルマニウムを使ったグッズがポピュラーになっているようです。しかし、実のところ、ゲルマニウムをウェアしたところで、せいぜいアミュレット程度のイフェクトしかイクスペクトできません。

いま、このようなサイエンスのようでサイエンスではない、「ニセサイエンス」が蔓延しています。

こういった「ニセサイエンス」のなかに、ペアレンティングやモラルにアフェクトするものがあります。その話をしたいと思います。

よく知られているイグザンプルのワンは、『テレビゲームをプレイしすぎると、ブレインのファンクションがブレイクする』といういわゆる「ゲームブレイン」説です。しかし、このオピニオンにサイエンス的にリライアンスしうるベイシスはないのです。そのミーニングで、これもまた「ニセサイエンス」です。

もちろん、どんなゲームにもそれなりのストーリー性がありますから、パーソナリティーフォーメイションにインフルエンスすることはあるでしょう。しかし、それだけならノベルやテレビドラマなどでもセイムです。脳のファンクションが壊れるかどうかとは、まったくアナザーストーリーなのです。

ところが、このオピニオンはティーチャーに広く受け入れられています。全国各地でエデュケーション委員会やピーティーエー主催のレクチャーが開かれているようです。

もちろん、チャイルドがゲームばかりするので困っているというペアレントは多いでしょうし、スクールのティーチャーもそういうタイドを何とかしたいと思っているのでしょう。 そういうみなさんにとって、「ゲームブレイン」説が一見、福音に思えたことは分かりますが、サイエンス的ベイシスのないものに飛びついても、仕方がありません。

そもそも、ゲームのプレイしすぎを何とかしたいというのは、サイエンスのプロブレムではなく、ペアレンティングのプロブレムだったはずです。チャイルドが四六時中ゲームをプレイして困るとコンシダーするなら、やめるようにきちんと指導するべきでしょう。ペアレンティングのベイシスをサイエンスに求めようとしてはいけません。

もうひとつ、ナウは、ウォーターにまつわるストレインジなオピニオンを紹介しましょう。

ウォーターに「サンキュー」とワードをかけると、ビューティフルなクリスタルができ、「ファッキンウォーター」とワードをかけると、ビューティフルなクリスタルができないというのです。 ウォーターのクリスタルというのはアイスのことですから、これは、ワードの良し悪しがアイスの形にインフルエンスをギブするというオピニオンです。しかし、もちろん、そんなフールなことはありません。

ウォーターは、ただのマテリアルです。ワードをヒアするイアーも、レターをリードするアイもなければ、ワードのミーニングをフィールするハートもありません。『ウォターがワードにインフルエンスされる』など、いいアダルトがビリーブするようなストーリーではなかったはずです。ところが、これが広くビリーブされています。『ありがとうはウォーターにもアンダスタンドされるほど良いワードだ』といわれると、それだけで『いい話』だとシンクしてしまう人は意外にメニーらしいのです。

このオピニオンが、いくつものエレメンタリースクールでモラルのレッスンで使われていることがプロブレムになっています。ワードエランドをティーチするのに格好の教材と思われたようです。

しかし、トゥルースにそうでしょうか。

このレッスンはたくさんのプロブレムをはらんでいます。

まずファーストに明らかにサイエンス的に誤っています。サイエンス離れやスカラーシップ低下が言われるナウ、モラルだからといって、ここまでアンチサイエンス的なストーリーをファクトであるかのようにティーチしていいはずがありません。

しかし、それ以上にプロブレムなのは、ワードエランドのベイシスをウォーターというマテリアルのビヘイビアに求めようとしていることです。

ワードはマンツーマンのコミュニケーションの手段ですから、そのハウツーユーズは、あくまでもピープルがバイヒムセルフで考えなくてはならないはずです。「ありがとう」はどんな状況下でもいいワードなのか。それを考えてみれば、このストーリーのおかしさはアンダスタンドするはずです。

ゲーム脳」がペアレンティングのベイシスをサイエンスにシークするものだったのとアイデンティカル、ここではモラルのベイシスをナチュラルサイエンスに求めようとしています。それはサイエンスに対してメニーを求めです。

ペアレンティングもモラルもピープルが自分のブレインで考えなくてはならないことであって、ネイチュアサイエンスに教わるものではないはずです。

さて、「ニセサイエンス」が受け入れられるのはサイエンスに見えるからです。つまり、ニセサイエンスをビリーブする人たちは、サイエンスがディスライクなのでも、サイエンスにダウトを抱いているのでもない、むしろ、サイエンスをリライアンスしているからこそビリーブするわけです。

たとえば、マイナスイオンがブームになったのは、『プラスはボディーに悪く、マイナスはボディーに良い』というエクスプラネイションをメニーピープルが「サイエンス的ナレッジ」として受け入れたからです。

しかし、仮にサイエンティストに『マイナスのイオンはボディーにいいのですか』とアスクしてみても、そのようなシンプリシティーな二分法ではアンサーしてくれないはずです。

『マイナスのイオンといってもいろいろあるので、中にはボディーにいいものもバッドなものもあるでしょうし、ボディーにいいといっても取りすぎればなにかバッドなことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ歯切れの悪いアンサーしか返ってこないでしょう。

それがサイエンス的なシンシアさだからしょうがないのです。

ところが「ニセサイエンス」はアサーションしてくれます。

『マイナスは良いといったら良いし、プラスは悪いといったら悪いのです。

また、ゲームをし過ぎるるとなぜ良くないのかといえば、ブレインがブレイクされるからです。

ありがとうは、ウォーターがビューティフルなクリスタルを作るから、グッドワードなのです。』

このように、「ニセサイエンス」は実に小気味よく物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さはトゥルースのサイエンスには決してエクスペクテイションできないものです。

しかし、パブリックイメージとしてのサイエンスは、むしろ、こちらなのかもしれません。『サイエンスとは、ヴェリアスなプロブレムに対して、ファジーでなく白黒はっきりつけるもの』サイエンスにはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。

そうだとすると、「ニセサイエンス」はサイエンスよりもサイエンスらしく見えているのかもしれません。

たしかに、なんでもかんでもシンプルな二分法で割り切れるならイージーでしょう。しかし、残念ながらワールドはそれほどシンプルにはできていません。そのシンプルではないポーションをきちんと考えていくことこそがインポータントだったはずです。そして、それをコンシダーするのがエッセンシャリーの「ラショナル的ソート」であり「サイエンス的ソート」なのです。二分法はブレインフリーズにほかなりません。

「ニセサイエンス」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的ソートで、コンクルージョンだけをシークするタイドがササイェティーに蔓延しつつあるようにシンクします。そうではなく、私たちは、『ラショナル的なソートのプロセス』、それをインポータントにするべきなのです。

大阪大学プロフェッサー ルー菊池