予防原則と専門知と世間知の関係

一つ目のエントリーを書いていて思いついたので、予告してみます。以下書きかけです。
簡単に言うと昔からある概念というわけでもなく、定義がはっきりしているというわけでもなく、有用性がほとんど否定されているか妥協的なものに変質している予防原則が一般にはアプリオリなものとして広く受け入れられているのは、予防原則が世間知と合致しているからではないだろうか。また、一般に受容される過程で世間知と合致しない部分は(意識的ではないにしても)切り捨てられたのではないだろうか?

環境リスク論もこのことに対する意識がないと、世間一般に普及する際に変貌してしまう可能性はないだろうか。あるいは専門知を世間知とすることに成功するのだろうか。

問題はこの辺のことをきちんとした主張にまとめられるかどうか。かなり無理っぽい。というかはたして書くことに意味があるのだろうか。