パオロ・マッツァリーノ

というか書きかけ。世間知だけでどこまでつっこめるかという感じで。これじゃあ、庶民の味方じゃなくて、単なる学者の敵だよね。庶民の味方なら最低限対案を出さないと。後、統計だけで考えてもリフレが必要という話も書きたい。今の段階で読むのはお勧めしません。
実は個人的にはリフレ派うんぬんの話はどうでも良かったりする。あの内容だと、私およびこの広いリフレ世界の近所の方々のことを指しているようではないので。というか、主義主張で人にレッテルを貼るのは嫌いなので、リフレがどうのこうのならともかく、リフレ派がどうのこうのとなるとスルーすることになります。
まあ、リフレ派も有名になったもんですねえ。
あと、「世界を支配する7つの法則*1」の第2法則「Webの内容をまとめた本は必ずWebの内容より駄作になる」*2もどうぞ。

個人的な感想としてはかつて良いと思っていた人が衰えていくのを見るのはいやなものですがこれにつきます。(大屋先生の別の人間に対する感想です。念のため)
前作*3社会学者のやり方を別の角度(世間知というより常識に反旗を翻す形)でやって見せたわけであって、基本的に社会学からは一歩もはみ出てない内容だったわけです。今まで常識を信じ込んでいた人はショックだったでしょうが、作者の語り口と統計のうまい使い方で反感を抑えながら啓蒙に成功していたわけです。また、社会学者の方からも立場が違うだけで対象と方法論は同じですから、(持論を否定された人を除いて)反社会学社会学ということでおおむね一致していたようです。
ところが、今回経済学もお約束の学問であると切り捨てられています。まあ、経済学が(他の多くの学問と同じぐらい)お約束の学問であることは確かなのですが、それだけで実効性がないわけではありません。少なくともあれぐらいの根拠で批判できるなら社会科学全般が否定されてしまいます。(経済学全部が駄目なら経営学商学も道連れ、政治学は経済学と社会学の中間あたり(そこから垂直に離れてはいますが)、法学は経済学よりもお約束が多いのはまあ疑う余地はないでしょう)
ことは経済学者だけの問題ではないのです。これでは庶民の味方ではなく、単なる学者の敵にすぎません。庶民の味方なら最低限デフレに苦しむ庶民のための対案を出さないと。

*1:id:koiti_yano:20051117#20051117f1参照

*2:買う価値がないとは言いません。今のコンピューターでの日本語表示能力はどう頑張っても印刷には勝てませんから

*3:読んでいませんので、実はWebの内容と書評について