日銀に経済学なし
日本に生き残った国民全てに、私は訴えたい。日銀には、すでに経済学はない!経済学もなければ、マクロ、ミクロもない!なのになぜその日銀に降伏しなければならないのか!国民よ!討つべきは、日銀の軟弱な審議委員である。独立性の名の下に隠れ、何一つ責任を取ることのない総裁に、日本に生き残った一人一人の意志を託すわけにはいかない!
日本銀行の福井が、日銀の実権を握った時に語った傲慢不遜な言葉を思い起こすがいい!
日本の政治家は、旧来の因習にとりつかれて、世界を生活の場としはじめた人類の意識がグローバル化しつつあるのに気づかぬ古き人々であるという。その古き人々の政府に、日銀の委員が従ういわれはないと言う!官僚の堕落は、たしかに福井の言う通りではある。しかし、日本の国民よ。福井の語る一面の真理にのみ眼を奪われてはならない。たった二ヶ月のデータで経済の将来を見通し、大いなる決断をしたなどという戯れ言を誰が信じようか!
福井が、日本の一部の堕落に事よせて、日銀の正当性を主張するなど、許せるものではない。所詮、日銀の独立をたくらむ日銀マンの独善である。百歩引き下がって日銀の独立性を認めたとしても、なに故に、日本政府そのものまでが日銀の前に膝を折らねばならないのか!日本政府とは、故人の主権の確立の上に立った政府である。しかるに、あの福井は言う。討つは日本経済の構造である、と!討てばよろしい。デフレの源を!しかし、四十万の罪なき人々を殺戮した日銀になにを語る資格があろうか!
その男が、またしても利上げしてみせるという。何を根拠に福井は、それを言うのか?彼のイデオロギーが絶対真理であるからなのか?否!彼の独善でしかない。政府が軟弱で腐敗堕落しきっているのか?これも、否である。デフレの脅威に勇敢に戦った善良有能なる国民は、未だ健在である。では、日銀は、政府に比べて正当な経済政策があるというのか?これもまた、否である?
国民諸君!聞き給え!すでに福井の言葉は世迷い事にしかすぎない。日銀の職員は疲れきっている。都合のいい経済統計は、明日すぐに間に合うというものではない。利上げなどと、やってもらおうではないか!
ゼロ金利解除ですでに日銀の正当性は尽きている。そして、日本の国民、一人一人へ私は訴える。もはや、日銀に経済学者はいない!その日銀に跪くいわれはないのだ!起てよ国民!今こそ、日銀本店をこそ、我らの前に倒すべきである。