途中項(「丸山眞男」をひっぱたきたいわけではないけど)

諸事情により未完成状態でアップします。レスポンスは完成後ということでよろしくお願いします。アドレスも変わる予定です。

まずはこちら(あるいは「論座」2007年1月号の赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』)を読んでいただきたい。
参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄) - アフガン・イラク・北朝鮮と日本

疑問

丸山眞男」をひっぱたきたいとは左翼言論人をひっぱたきたいのか、それとも東大卒のエリートをひっぱたきたいのか?

文脈を見る限りではエリートをひっぱたきたいということを意味しているはずですが、これが論座にのったこととその後の応答は(論座編集部が)左翼言論人をひっぱたきたいのが理由ではないでしょうか。そういう意味ではこれは論座による壮大な釣りであって、しかもそれに皆様見事に釣られているというすごい状況ですね。

世代間格差だけが問題ですか

このような不平等が、また繰り返されようとしている。この繰り返しを断ち切るために必要なことは、現状のみを見るのではなく、過去に遡って、ポストバブル世代に押付けられた不利益を是正することだろう。近視眼的で情緒的なだけの弱者救済策は、経済成長世代とポストバブル世代間の格差を押し広げるだけである。

「最近の若者は」vs「年寄りをひっぱたきたい」

しつこいですが、「最近の若者は……」という台詞がほとんど人類の文明と同じぐらいの歴史を持っている一方で、それと対をなす「年寄りをひっぱたきたい」という感情も同様の長い歴史を持っているわけですが、それが表に出ることは歴史上ほとんどありませんでした。
もちろん、理性的な若者は「最近の若者は……」と宣う年寄りが若い頃には「最近の若者は……」と言われていたことに気が付きますし、もうちょっと優秀であれば自分たちが年を取れば「最近の若者は……」といいたくなることもわかっています。残念なことに、人類の多くは理性的ではないのです。それでも、若者が黙ってきたのは「最近の若者は……」には若者に対する期待と表裏一対であり、説教と同時に教育をしてきたことが一因でした。

参考

銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。〜「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感 - 想像力はベッドルームと路上から
「丸山眞男をひっぱたきたい」…: 雪斎の随想録
構造改革=五体満足な人間が土方では生活できないようになることという理解はどこか間違っているのでしょうか。いえ、土方というのは例えであって、ようするに人の嫌がる仕事をやれば(プレミアがあるので)能力がなくても食べていけるという意味だとは思うのですが、失われた十五年間では人の嫌がる仕事に好待遇で人を集めることが(無根拠に)基本的に批判されてきたおぼえがあるのですが。
2007-03-08

鎌田慧の応答(今月限り)

http://opendoors.asahi.com/ronza/story/index.shtml
かみ合っていないところもありますが、単体でちゃんとしている記事ですね。