一年人*1のために何十億円のコストを支払うのは妥当でしょうか?
私は他にやるべきことがあると思います。(ただし、一年人のために現在かけられているコストが数億円であることを前提としている(いずれの数字も大体の数字))
という意見に対して考えられる反論は
- コストパフォーマンスを無視した予防原則に従わなければいけない(論外)
- リスクはもっと(何桁も)大きい
- コストはもっと(何桁も)小さい
- 他に(人命のために)やれることはもっとコストがかかり、かつそのコストを誰か(普通は国や地方公共団体だが、場合によっては法人や消費者)が負担することが出来ること
- 確かに対策のために支出することは公平ではないが、何らかの事情(条約などの国家的約束、世論)のためにそうせざるを得ないこと
のいずれかあるいはこれらの組み合わせしかないはず。
このうち、最初の一つは論外であり、リスクとコストの積算根拠について合理的説明がある場合、二つめと三つめは反論者に挙証責任があると考えられる。四つめは反論者だけに挙証責任を負わせるのは酷*1だが、それは今の日本にはやるべきことが無数に存在するからである。ということはCP比が良いものも存在するので、現実にはよほどCPが良くない限り問題にならない。五つめはそもそもそんなものは政治の範疇に属することであってリスク評価をしたところで役には立たない。ただし、意味がないわけではない。例えば、リスク評価によって世論や条約が変わる可能性があったり、まったくと言って良いほど効果がないことが分かるかもしれないから。
そういうわけで、きちんとしたリスク評価が存在し、そこから対策が妥当性が判断された場合、判断結果に対する異論は反論者に挙証責任があると考える。