親は関係ねぇだろ?親は!

ちょっともの書いてる状態じゃないんですが。
社会学とか興味ないって言ったんですけど、ものすごいえさを発見したので、皆様のご意見を伺えれば幸いです。というか、世間の常識を教えてください。皆様はこのような意見についてどう思われるのでしょうか。

どう見ても差別です。本当にありがとうございました。


○清家座長 例えば、クリントン政権のときの労働長官だったロバート・ライシュなんかがいっているのは、親の所得に反比例して教育バウチャーを与える。つまり親が貧しい家の子どもほど高い教育バウチャーが受けられるようにすれば、いい学校が貧しい家の子どもを奪い合うようになるので、そこで均等が起きるのではないかといっているんですが、いかがでしょうか。
○佐藤氏 私としては、個人的にそっちの方向へ持っていきたいと思っています。
親が貧しい家の子供ほど高い教育バウチャーを与えるならば負のlinearでいいじゃないですか。あるいは、負のlogで(底をどれぐらいに設定すればいいのかは不明ですが)。どうして、教育バウチャーを設定するのに親の所得を-1乗するんですか?
個人的に許容できるのは世帯の所得ごとに一人あたりの教育費*1を求めて差額を補う程度の差を付けることまで。もちろん、これは一端制度を導入すると補助によって家計の教育支出が減るのはそこをきちんと計算する(あるいは最初の数値をマクロ経済指標にのみ連動させる)必要があると思います。
恐らく保留抜きで賛同可能なのは段階的*2に現在の公的教育支出の一部を頭割りで分配して、就学援助+αを考慮する制度です。ただ、不況下で教育をいじるのは予算、失敗した際のリスクを考えると適当ではないので、景気回復まで待つべきだと思います。*3それ以上は私にはラディカルすぎ。
最大値付きの負の対数関係なら、賛同はしなくても理解は出来るんですが。

ひょっとして

まさかまさかと思うのですが、逆比例を負の線形と勘違いして使ってるなんてことはないですよね。そうであって欲しいんですが。
教育社会学者ってのはひょっとして教育精算主義者のことなんですか?

過去の傷

上の内容とは関係ないですが、過去の傷と向き合える内藤先生はつよいなあ。というか、単純にうらやましいと言ってしまって良いのかもしれない。

前から言おうと思っていたんですが

日本の社会学者は一人を除いてジャンクだ。

*1:もちろん兄弟の数などはきちんと補正

*2:幼稚園や保育園あたりが実験としては一番向いているのではないかと思うのですが、高等教育から少しずつ初等教育に向けておろしていく

*3:before we are all deadどころか、教育の犠牲者にはとっとと改革しないと間に合わないのは確かなのですが、だからといって教育の受益者をしばく理由にはならない