月刊 嘉麻の里2006年3月号『ニート』

http://www.aso-taro.jp/lecture/kama/2006_3.html

政治家の『ニート』「異論」としては至極まっとう。ちょっと興味を持っている程度の人間からしても目新しいことはなにも言っていない「異論」ですが、その分あらは少ないですね。政治家がなにも分かっていないという人には勧めたいです。

情報化社会とかIT社会と言われる局面に世の中が動きます。価値観も経験という値打ちも急激に大きく変化ました。

誤字ですか。失礼を承知で申し上げれば、価値観が変わったのは年を取ったからだと思います。同じ年代の意識はそんなに変わってないかと。というより、若者の挫折感というより麻生太郎の挫折感なのかな。(具体例:google:フロッピー 麻生太郎
その次の段落はsvnseedsさんと対をなしてますね。

最近よく聞かれる「参加させよう」とか「動機づけの手当」などは、ニート解消の為の標語だったり、手段だったりしています。 しかし参加支援と言いますが、「どんな社会」への参加を支援しようとしているのか、「どんな社会」になるのかが、ニート側には見えていない以上、効果があまり上がらないんじゃないでしょうか。

効果があまり上がらないというか見えていないものを押しつけるのって詐欺とか言われるような気が。最近、こういう保守的な意見*1を見てないので懐かしい。なんでも変えればいいというもんじゃないんですよ。

ニートの他にフリーターという種もよく聞かされます。 何処が異なるのか、その定義は私もよくは判りません。 また色々の統計を見ても、ニートの急増を示す根拠はハッキリしません。そしてフリーターもニートも、追い込まれて成らざるを得ない者と、あえて定職を持たないと選択した者とがあるように思います。

人によって定義が異なりますからね。定義次第ですが、ニートの急増を示す根拠ははっきりしないというか存在しないと言っていいと思います(参考http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20050418#p1)。フリーターにもフルタイム雇用希望型と非希望型がいるのではという指摘は大事だと思います。というか、何故かあまり見かけない。

今の時代は餓死する程の貧しさが存在する訳じゃ有りません。

餓死しない程度の社会保障はあるにしても、生活を苦にした自殺は相変わらずの訳でこのへんはどうでしょうか。
以上、ブレーンが書いてるんじゃね?という突っ込みはなしの方向で。

*1:目的よりも結果や手段を大事にした意見